農園名改名の発端となった畑は2023年まで耕作放棄地でした。
重機の資格を取り自分で開墾の始まりです。
私の親がまだ元気だった頃は栗畑でしたが、その面影は一切なく、雑木生い茂るまさに荒地。
耕作放棄地の再生を決意するもどこから手を付けたら良いか、足を踏み入れる隙間すら無い状態でした。
それでも重機の力を借りて道路側の雑木からなぎ倒しを開始!
なんと妻まで小型重機に乗って頑張ってくれました。
「遊園地の乗り物みた〜い」って喜んでましたが、なかなかの重機操作。
つづく
豊かな大地を未来へつなぐ
農園名改名の発端となった畑は2023年まで耕作放棄地でした。
重機の資格を取り自分で開墾の始まりです。
私の親がまだ元気だった頃は栗畑でしたが、その面影は一切なく、雑木生い茂るまさに荒地。
耕作放棄地の再生を決意するもどこから手を付けたら良いか、足を踏み入れる隙間すら無い状態でした。
それでも重機の力を借りて道路側の雑木からなぎ倒しを開始!
なんと妻まで小型重機に乗って頑張ってくれました。
「遊園地の乗り物みた〜い」って喜んでましたが、なかなかの重機操作。
つづく
この度、農園の名称を「わがまま果菜園」から「志士庫自然派農園」へ変更しました。
志士庫とは、現在の茨城県かすみがうら市の南東部に1889年から1955年まで存在した村「志士庫村」の名称を使用しています。この地域ではその名残も多く、志士庫栗はブランド栗として未だ健在で、また、最近新設された診療所も志士庫クリニックとして開院するなど、地元では慈しみ親しまれ続ける名称を使用させていただきました。
自然派としたのは、自然農法を追求したいものの、圃場全てを自然農法で行うことは人的要因から難しく、可能な限り自然農法に近しい手法ながら、最低限度の天然肥料などを使用するため「自然派」とさせていただきました。
しかしながらポリシーは健在で、農薬や化学肥料、動物性堆肥などは使用せず、人工化学合成物は一切入れない使わない農法で生産しています。